わが家の年末年始、母から引きついだ煮しめ作り

わが家の年末は宅配で年末年始に必要なものを購入し、
神棚と仏壇の掃除、玄関と門を掃除して門松を立て、
小さい正月飾りをつける。
31日に煮しめ作りとお雑煮の準備をします。

親戚が集まるというようなことはないので、
特別豪華にするようなことはありません。
お正月料理も作るのは煮しめのみ、
伊達巻やかまぼこは宅配で用意しますが、
栗きんとんのようなものは用意しません。

煮しめは人参、こんにゃく、どんこ、はす、酢ゴボウ、
八頭、きぬさやをそれぞれ一品ずつ作ります。
この時だけは出汁をとるところから始めます。

すべて母から十数年かけておそわったものです。
煮しめを作るのは年1回ですから、母が作るのを手伝いながら覚えました。

わが家ではだいたい元旦から三日まで煮しめを食べます。
ちょうどそのくらいで食べ終わるくらいの量を作ります。
食べ飽きるという経験はなかったです。

八頭の煮かたは、母が姑
(私から見れば祖母ですが私は写真でしか見たことがない人です。)
から教わったそうです。

八頭は煮しめのなかでも、一番のお楽しみの料理です。
大みそかはそばはあまり好きではないうちなので、
年越しうどんを食べます。
このときは海老天をつけて、ちょっと豪華なうどんです。

数年前からは私一人だけで煮しめを作るようになりました。
毎年年末が近くなると煮しめを作るのが面倒くさく思っているのですが、
家族が期待していることもあり、
31日になり、煮しめを作りはじめると夢中になっている私がいます。

各家庭によって違うのかも。年末年始における我が家のルール。

サービス業でもない限り、家族全員が揃う機会が多い年末年始。
1年の無事を喜び、新しい1年を迎える。
短いけれども内容の濃い期間となります。

この年末年始という期間は、
各家庭で独自のルールが決められていることが多いです。

あまり知り合いに年末年始の決まり事というのは聞く機会が少ないと思いますが、
聞いてみると新たな発見、みんなやってることだと思ったら、
自分の家だけだったと思うこともありますので、調べてみると面白いと思います。

我が家は年末年始は家族全員が休みになります。

唯一私が単身で離れて暮らしているため、
他の家族からすると私が戻ってくるというのが、
まず初めの行事となっているでしょう。

大晦日までは通常通りの日々が流れていきますが、
大晦日はなぜか全員15時くらいからお風呂に入り始め、
16時には夕飯を食べ始めます。
そしてその夕飯も、毎年メニューは同じです(ここでは伏せますが)。
21時になると年越しそばを食べ始め、あとは各々自由に過ごします。

これが我が家の年末年始のルールとなります。

他のお宅では、また違った独自のルールがあったりするのではないでしょうか。
年始に必ず福袋を買うために回ったり、二年参りは家族総出で行ったり、
小さなものから大きなイベントまでたくさんあると思います。

でも、その各家庭のルールは長年の歴史の上に成り立っているわけですので、
今後もこの恒例行事は大切にしていきたいところです。

なんで年始はみんな同じ行動に出るのか不思議に少し思った

年越しの時に仲のいい会社の先輩後輩と一緒にテレビを見て
くだらないことでガハガハと笑い、
一年の思い出話しや失敗談や辛かった話しなどお喋りが止まらない止まらない
そんな楽しいことができるのも一年頑張った自分たちがいるからであって
みんな元気で会えていることすら素敵な日であって。

でもそんな日は世の中の人たち大体同じ行動をしているもんで、
初詣に行けばものすごい人の量でおみくじ引くのも参拝するのも
時間がかかてしまいます。

こんなことでイライラしていたら話になりませんので
大きな気持ちで我慢をし楽しいことが次から次へ
舞い込んでくるような日だと思っています。

ですが甘酒を買おうってなった時にコンビニ足を運ぶと
一つもないじゃないですか。
宅飲みですでに酔っているから売り場を見間違えたのか、
と思ってはいたのですが、何度見渡しても在りません。
諦めて別の近くのコンビニにみんなで足を運びました。

寒い冬の夜道を次のコンビニではゲットできるかなーと
不安と期待で膨らませながらタラタラ歩くのもまたいい思い出になるんですね。
結局2つ目のコンビニにも甘酒はありませんでした。

今年は甘酒なしだねーって笑いながら、
みんなで夜道をまた家まで帰れてのも自然のイタズラだったのかも知れません。

年末年始の行事を初めて存分に満喫した4日間

去年の年末、今年の年始は非常に充実しました。

私の実家は、昔から貧しく年末年始もすることといったら
大掃除と初詣くらいでした。
なので、今までで一番時間を有意義に使うことのできた4日間になりました。

まず一日目は、30日です。
私はその年が初めての参加だったのですが、
毎年幼馴染4人彼氏の実家で集まるのが恒例らしく、
30日の夜から前乗りしました。

二人しかいませんでしたが、
年越しの前夜祭などといってもう飲んでいました。
その日は次の日のこともあるのでほろ酔いで気持ち良く早めに寝ました。

31日の午前中は、まだみんなが仕事終わりで寝ているので、
彼の車の洗車を済ませました。
初めはめんどくさいから洗車機にぶち込もう!
などと言っていましたが、さすがに年末のガソリンスタンドはどこもいっぱいで、、、結局実家で洗車することになりました。

そのこと自体初めて二人でしたので楽しかったです。

夕方のなると徐々にみんなが起き始めて、一人二人と家に集まってきました。
夕方の6時くらいには全員集まり、鍋とお酒の買い出しをして、
家に帰り急いで鍋を作りました。

7時ごろにはもう飲み始めていてそれからテレビをみたり
ゲームをしたりして楽しい時間を過ごしました。
11時ごろに2年参りに行きました。

早めに出たつもりだったのですがとても混んでいて、
ぎりぎり二年参りになりました。2年参りもはじめてでした。
そのあとは家に戻りまた飲んだりお酒が足りなくなって
みんなでコンビニまで歩いて行ったりしていると一人が寝てしまって、
その人だけ家において初日の出も見に行きました。

さすがに帰ってからみんなで軽く睡眠をとりました。

しばらくしてお風呂に入ったり着替えたりのため、私以外が解散しました。
といっても15分ほどでまた集まって街にあそびにいきました。
それからその日は一日遊んで終わりました。

その次の日の最終日はまだ仕事が休みの人で焼き肉食べ放題に行き、
少し遠くへ朝まで飲みに行きました。
といった感じで私の4日間は終わりました。

起きている時間が長かったので、
4日間しかいなかったという自覚がありませんでした。

休みは元旦だけ百貨店務めの年末年始の楽しみかた

百貨店に勤めて10年間、
年末年始の連休というものとは縁遠い生活を送っています。

31日の大晦日は通常20時閉店のところ18時閉店なので、
早く終わるような錯覚を起こしかけますが、

何のことはないいつもの早番と同じ終業時間です。
翌日の元旦こそ休業ですが、翌々日の2日からは早々に初売りが始まります。
私の売り場は年末年始に忙しい売り場ではありませんが、
繁忙期である食品売り場などから支援要請が来るので、
自分の売り場がヒマだからと油断していたら、
一番忙しい所で怒涛の忙しさを味わうハメになります。

会社では元旦のお休みにくっつけて連休を取る人もいますが、
それも元旦込みの2連休までと制限されています。
と言っても、家族がいるから、実家が遠いから、主人の都合に合わせて、
などなど毎年何とか31日~2日まで3連休を確保する人は必ず現れます。

私はすでに両親ともに亡くなっていますし、結婚もしていないため
年末年始にはこれと言って特別な用事はありません。
せいぜい友人たちと初詣に行くくらいですが、
それも絶対しなければならないことでもありません。

なので毎年シフトを決める先輩から「今年も31日と2日は出れるよね」と、
早々に出勤者リストに入れられてしまうのです。
ですから私にとっては年末年始はあまり特別な日ではないのです。

31日の大晦日まで働いて元日に休み、また2日から仕事ですから、
いつもの休みのシフトと全く変わりません。
元旦であってもただの休日ですから、普通に洗濯もすれば掃除もするという、
一般的にはお正月にはしないとされていることも通常運転で行います。

10年間もこの生活を送っていると、
今更年末年始に大型連休が欲しいとはあまり思わなくなってきています。
反対に年末年始に働くことにちょっとした楽しみを感じています。

まず、31日の大晦日。
この日は閉店10分前から「蛍の光」が店内に流れます。
通常の閉店時には違う曲が流れるので、年に一度だけの「蛍の光」に
ちょっとレア感を感じてしまいます。
蛍の光を聞きながら「あー、今年も終わっ
たなー」と、
一年の無事に感謝するわけです。
会社を出て駅までの途中には蕎麦屋さんがあり、
毎年大晦日には店外で道行く人に年越し蕎麦をワゴン販売しています。
そこでお蕎麦を買って帰るのが私の大晦日です。

2日の初売りでは、
女子社員たちの華やかな振袖、和装姿を目にすることができます。
通常より1時間早い開店時間にも、何か特別感を感じてしまいます。

私の売り場のフロアには呉服売り場があるため、
男女共に和装姿の社員が多く、更にお正月気分を盛り上げてくれます。

初売り初日は多くの取引先のメーカーの方々が年始の挨拶回りに来られるので、
この挨拶締めも伝統的で趣があります。

百貨店は地下街と直結しており、毎年獅子舞が練り歩きます。
それを見るためその時間に合わせて休憩を取るのが、
私の毎年の日課になっています。

社員食堂も2日だけはおせち料理が出ます。でも正直美味しくないです。
ですから普通にラーメンとか食べます。

と言うことで、さほど年末年始の連休には執着心の無い私ですが、
たったひとつ駅伝はゆっくり見たいものだな、と常々思っています。

元旦に放送される実業団の駅伝は見ることができるのですが、
2日、3日の2日間で行われる箱根駅伝はいつもBSのダイジェスト版で見ています。

これがすでに結果を知ってしまっているため、
いまいちライブ感を味わえないのです。
だからと言って駅伝のために元旦から3日まで3連休なんて取れるはずもなく、
これは仕事を辞めてからの楽しみにしたいと思っています。

キラキラと浮ついた空気が流れる季節に歯車として働くということ

学生の頃、大手お菓子会社でバイトをしていました。
年末年始はクリスマスやお正月などイベントが多いため、
バイト代も跳ね上がります。

ベルトコンベアーでの流れ作業で、大福をケースにいれたり、
ケーキが入ってきた箱に蓋をしめたりとひたすら黙々と行う作業でした。

初めは私が遅くなり後ろの人へ迷惑がかからないように、
リズムをつかむことで精一杯でしたが、段々出来てくると
もっと綺麗に早く簡単にするためにはどうすればいいかを考えはじめ
試行錯誤します。

それも手に馴染んでくると、工場全体を見渡し、
どこでどんな作業が行われているかに興味がでてきます。

私は就職間近だったので、長期間そこでバイトをしたわけではないですが、
工場全体を見渡すと大きな歯車の中で働いてるんだなと感じていました。

皆が延々と自分の持ち場を働いている。
出来上がりを見ないと自分がどんな仕事に携わっているのか、
わからないこともあります。

でも、私が私の持ち場をやらなければ、
このベルトコンベアーのリズムが狂ってしまう。
歯車がひとつ欠けただけで、正常に起動しなくなる。

これから会社に就職するということはそういうことなのかもしれないな、
実感しました。

年末年始に出勤したひと達はお年玉としてお菓子ももらいました。
家族や恋人と過ごしたい人もいたと思いますが、
その中で仕事した歯車の私たちは職員の人も含めて連帯感が生まれていました。

お金を稼ぐためのバイトでしたが、
いい経験ができたと10年経った今でも忘れません。

卒業論文を提出する間近の年末年始は何もできませんでした。

大学4年生の年末年始は例年恒例の年越しそばを食べたり、
紅白歌合戦を見たり、年始に親戚の家を回ったりする恒例行事ができませんでした。

ちょうど2月の頭に卒業論文を提出しないといけないにもかかわらず、
まだ論文どころか研究も途中だったので。

大晦日の日も寒い中、友達と研究室にこもって研究をしていたのを覚えています。

まだ友達が一緒だったので寂しくはなかったのですが、
大晦日の日まで研究している人は大学の中でもそう多くなかったので、
少し悲しく寂しくもなったりしました。

しかし、やらないわけにも行かなかったので、家の用事を全て断り、
結局大晦日は大学近くの友達の家に泊めて貰うことにしました。

大晦日の夜になる前に友達の家に移動して一緒に年越しをしましたが、
あまり年明けという感覚はなく、二人で論文の話などもしながらという感じでした。

結局お正月はそのまま友達の家で寝正月になってしまっていたので、大
晦日のあの追い込みもなんだったんだという感じでしたが、
もう年末年始にゆっくりできないのは辛いなと思ったりしました。

年末年始くらい学校も会社も休みなので
家族や大切な人と一緒に過ごしたいものですね。

帰り際には初詣帰りの人がいっぱいでそれもまた羨ましかったです。